5年ほど前、縁もゆかりもない東京に転勤になった時の、恋のような何か。
働いている本社は九州で、東京で働くのは5人ほど。みな先輩で、家族もち。25、6の僕のような人間はいなかった。
九州で生まれ育ち、就職した僕は、とても孤独だった。
ある日、新宿にあるこじんまりとしたガールズバーにふらりと立ち寄った。
めずらしくキャピキャピとしておらず、ガールズバーというよりはスナックに近い。
アットホームな雰囲気を気に入り、そこからたまに通うようになった。
女の子に貢いでいたわけではない。2時間3000円の飲み放題。ドリンクを何杯か振舞っても5、6000円で飲んでカラオケして、ほどよい時間に帰った。
僕としては、友達と遊んでいるような感覚だった。世代も同じくらいだし、女の子が媚びる雰囲気がないところが好きだった。
そのうち、1人の女の子と仲良くなった。
名をNちゃんとする。
Nちゃんは大学生で、よく笑い愛嬌のある、喫煙家で音楽が好きな女の子だった。
英語はペラペラで、頭もよく、周りの女の子とは違い賢かった。仕事の愚痴を引き出すのも上手かった。
後から、誰でも聞いたことのある私大に通ってることをこっそり教えてくれた。
歌舞伎町のガールズバーでは、僕とNちゃんだけがインテリチックな話や冗談が好きだった。2人しか分からない話は少なくなく、腹を抱えて、ケラケラ笑って話していた。
そして、Nちゃんは、それはそれは歌が上手かった。
ガールズバーについているカラオケで、『プラリネ』という曲をよく歌ってくれた。アイドルマスターというコンテンツの曲で、そこまで知らなかったが、すぐ曲を購入した。
初めて聞いた時は聞き惚れたし、それから店に行く度に歌ってくれと頼んだ。Nちゃんも、僕がその歌を好きだと知って、積極的に歌ってくれた。
別にガチ恋というわけではなく、特に贈り物をしたこともない。
サークルやバイト先であう、仲の良い友達のようだった。
仲良くなるにつれ、LINEを交換したし、店の外で飲むこともあった。
ただ、別に頻繁に連絡したり飲みに行くわけでもなく、ましてや店員とお客さん以上の関係になったわけでもなかった。
お店に行けばケラケラと笑いあい、Nちゃんの『プラリネ』に聞き惚れ、またケラケラと笑った。そして帰る時には、いつも店の外まで見送ってくれた。
酔っ払いながら、冗談混じりに「大好き」と言ってくれることもあったりした。でも、それ以上でもそれ以下でもなかった。Nちゃんも、それ以上は何も求めていないと思っていた。
そんなNちゃんは、少しだけメンヘラだった。
お店用のTwitterアカウントでも、よく情緒が不安定になったりしていた。
自分を尋ねるお客さんが誰も来なかったりしたであろう日は、自分に価値がないと感じているようだった。
僕はというと、Nちゃんや、そのガールズバー以外に割く時間がどんどん増えていった。友達も彼女も出来たし、仕事も忙しくなっていった。
『ダーツイベントやるんだけど来ない?会いてえな』
顔をみない時間が1ヶ月近く続いたら、そんなLINEが来た。ダーツが好きじゃなかったこともあったし、やんわり断った。
それからさらにしばらくたったある日。
ふと気づくと、お店の出勤スケジュールにNちゃんの名前はなく、Nちゃんのお店アカウントも止まっていた。
楽しそうにハロウィンのコスプレを載せたりしていたのが最後で、なんの音沙汰もなくいなくなっていた。
1週間近くまとめて出勤を出していたが、その半ばでツイートが途絶えていた。
『やめたのかな』と思った。それ以上の思いはなかった。
まぁガールズバーではよくある話だと思った。大学生のバイトだ。
そのガールズバーには、それからもごくたまに行っていた。ただ、何となく聞きづらくてNちゃんの話は出来なかった。
やがて、コロナが来た。
ガールズバーには行かなくなり、そのお店は閉店してしまった。
そして、東京から九州に異動になり、東京で過ごしたことは全部思い出となった。
振られたわけでも、付き合いたかったわけでもない。
ただ、最後の別れをしないままに、なんとなくの別れになったのは、後悔している。
今でも、Nちゃんのお店用のTwitterや、LINEのアカウントは何も変わらずその時のままである。
LINEのアカウント画像も、何も変わっていない。
けれど、何かを連絡してみる勇気はない。
亡くなったりした可能性もあるな、と思うこともある。
もちろん、それは考えすぎで、歌舞伎町で働いてた女性が飛んだだけだろ、とも思っている。
Twitterを見返すと、少しメンヘラ気味の発言は、今でも残っている。たまにあげていた自撮りの写真も残っている。
あの時、もう少し会いにいけばよかった。
今もどこかで、少し大きめな声で笑いながら、元気でいてくれたらいいなと心から思う。
恋だったのかどうか、分からない。
大きな目と、何度も聞きほれた歌は、間違いなく好きだった。
5年経った今でも、『プラリネ』は僕が一番好きな曲だ。多分これからもそうだろう。
そして、曲を聞く度に、歌舞伎町に消えていった恋のような何かが、僕の胸のどこか大事なところに残り続けるのだろう。